ハロー注意報

職場で流れているラジオを聞いていると、時たま「波浪注意報」とアナウンサーが読み上げる。僕はそれをいつも「ハロー注意報」と聞き間違えてしまう。

 

ハロー注意報ってなんだ? 「通りを歩いていると外人さんに『ハロー』と声をかけられることがあります」みたいな注意喚起か? 英語が出来ない僕にはギリ意味のある注意報だな。と、そこまで妄想したくらいで「あ。『波浪』ね。」と気付く。

 

でもどこかキャッチーじゃないですか。「ハロー注意報」。ハローという友好的なあいさつに対して、まさかの注意喚起ですよ。このバランスでのギャップは中々に心地が良い。

 

 

 

余談だけど、僕には聞き間違いが多い。THE BACK HORNの『コバルトブルー』という曲にこんな一節がある。

 

潮騒の音 抜け殻だけを残して」

 

僕はその歌詞を聞き間違えていて、「詩の才能と 抜け殻だけを残して」だと思っていた。しかも何だったら、聞き間違えていた方の歌詞で「なんだこの歌詞すげぇ…」って思ってたくらいだ。

 

これだけではない。BUMP OF CHICKENの『レム』という曲の一節もまた聞き間違えていた。本来の歌詞では

 

「意味はないとかごまかすなよ」

 

なのだが、これも僕は「意味のないタバコなんか吸うなよ」と聞き間違え、曲の中でスマートに禁煙を促すなんてなんてスマートなやり方なんだと勝手に感心していた。ちなみに『レム』は言うまでもないが禁煙推奨の歌ではない。インターネットの有名な匿名掲示板へのアンチテーゼを込めた歌になっているそうだ。

 

 

 

そんな感じでよく聞き間違う頼りのない僕の耳が、今回聞いたのは「ハロー注意報」だ。ヴィレッジヴァンガードで探せばこんな名前のマンガありそう、ってなくらいにサブカル的なセンスを感じた。

 

 

 

ので。

 

 

 

ハロー注意報とは何なのか、せっかくなので考えてみることにした。ハローに気を付けなければいけない、果たしてその状況とはなんなのか。

 

簡単に発想してしまえば、冒頭に述べたような「英語が出来ない人が外人さんに声かけられる」ケースだ。ただ、このグローバル社会で英語が話せる日本人は僕の想像以上に増えているのかもしれない。

 

となれば、公的な手段で不特定多数に呼びかける『注意報』という表現とのズレが生じてしまう。だって英語が話せる人からすれば、「外人から声かけられる」 ことなど注意すべき問題ではないからだ。

 

さて、じゃあ不特定多数が「外人から声をかけられる」ことを気を付けなければいけない…となるともう現代ではありえない。なので過去にそんな時代がなかったかを考えてみる。

 

 

 

歴史が苦手だった。

 

 

 

鎖国してたころ? とか考えてみたりもしたが、歴史をはじめ社会科的な科目全般が苦手だった僕には時代を想像できるほどの能力が備わっていなかった。このアプローチはダメだ不可能だ。

 

じゃあどうするか。いったん「外人から声をかけられる」=「ハロー」という固定概念を捨ててみよう。だってもしかしたら「エクスキューズミ―」かもしれないしね。となると確実に「ハロー」と言われる状況を考えなければいけな…

 

 

 

あ。

 

 

 

ブンブンハローYouTube

 

これだわ。これ絶対ハロー言われる状況だわ。しかもおあつらえ向きに「ハロー」の前に「ブンブン」あんじゃん。これこそが真の「ハロー注意報」。

 

ヒカキンはいつもあいさつ言うときに「これから私はハローと言いますよ」という注意喚起のために、「ブンブン」というサイレンを鳴らしていたのか。つまり「ハロー注意報」とは、ヒカキンの「ブンブン」のことだったんだな!

 

 

 

 

え、なに?

 

わけがわからないよって?

 

いやまぁ突き詰めたら俺も何言ってるかわかんないけど、でもなんか妙に「結論出た」感あって今スッキリしてるよ。だからこの記事終わるよ。じゃあね。