サンキュー、米津玄師。2
僕がはじめて聴いた米津玄師の曲は、『ドーナツホール』だった。
ハチ MV「ドーナツホール」HACHI / DONUT HOLE
初めて知った日から時が経つにつれて、その名前がちらほらと目に留まることが増えていった。その時にはもう、「ボカロPの人」という認識がいつの間にかついていた。
そんな時期にふと聴いてみようと思った。ここで何か特別な出来事とかがあればよかったけど、本当に何もなかった。たしかいつものようにネットを徘徊して、何かの動画で『ドーナツホール』が流れていて、コメントかなんかで「あ、これが米津玄師なんだ」って知った、くらいのきっかけだった。
『ドーナツホール』から米津玄師を聴いたのは、いま思えば良かったと思う。というのも、この曲はボカロ曲でもあるし、米津玄師が歌ってもいるからだ。最初のうちは癖の強さを感じていたが、聴いているうちに ”クセ” になり始めていた。この曲だけでも聴きたくなって音源を探していたら、アルバム『YAMKEE』に辿り着く。
ずっとボーカロイドの歌声で聴いていたのに、DL購入できた『ドーナツホール』は米津玄師が歌っていた。あれ、と思った。ボーカロイドで聞いても、米津玄師の声で聴いても違和感がない。
それから僕は収録曲の1つをDL購入したのにも関わらず、『YANKEE』をレンタルする。それだけではなく、『diorama』『Bremen』『花束と水槽』『OFFICIAL ORANGE』と、その時に借りられるだけの米津玄師作品を借りた。
それらを聴いているうちにも、彼の曲はどんどんと知れ渡るようになっていった。アニメソングに起用され、CMソングで流れ、ついにはドラマ主題歌で紅白に出場する。
インディーズのバンドがメジャーになって、大衆受けをするとインディーズの頃のファンは興味を無くす現象がある。それは周囲と違う音楽を聴いて、「私だけが知っている」という優越感の喪失とともになくなるもので、この『Lemon』の大ヒットにも少なからずいたのかもしれない。
だけど、僕はツイッターであるつぶやきを見かけた。
「ボーカロイドを聴いてきて、ずっと聴いてた人がこんなに認められるようになって、僕は間違ってなかったんだと思った。」
細かなニュアンスは違うかもしれない。ただ、ここに「優越感の喪失」みたいな概念は一切なかった。
僕の個人的な感覚でしかないが、米津玄師のボカロP時代、ハチから彼の曲を聴いてきた人たちには、あまりそういった感覚がないように思える。それどころかむしろ、どんどんとメディアに取り上げられ、大衆に認められていく彼を、ずっと喜んでいる気がする。
憶測でしかないけれど、彼らはどこか感じていた「壁」を取り払われたような気持だったんじゃないだろうかと思う。
本来あるはずのない壁。ロックだろうとヒップポップだろうと音楽は音楽であるし、そのそれぞれを好む人がいる。ジャンルは違えど、どれか一つが好きならば「音楽好き」と言えるはずである。
そこに、果たしてボカロは認められていただろうか。
もちろん、大衆に受け入れられた米津玄師の曲はボカロ曲ではない。ボカロ曲そのものだって今はまだ表立って出てくるものではないのかもしれない。
でもやはり、そういったものを初期の段階から、ネットの一部界隈だと思いながら聴いてきた彼らにとっては、米津玄師の活躍が自分のことのように誇らしかったのではないか、なんて想像してやまない。
最後にひとつ、すごく印象に残っている曲について話そうと思う。
『海の幽霊』である。
米津玄師 MV「海の幽霊」Spirits of the Sea
アニメ映画、『海獣の子供』の主題歌であり、原作の大ファンだった米津玄師が映画化の際に、自分を売り込んで担当することになったそうだ。
この曲の製作期間だと思われる時期に、ヒトリエというバンドのボーカル、wowakaがこの世を去ってしまう。
正直、僕はヒトリエのこともwowakaのことも全然知らなかった。今でもちゃんと知ってるかと言われたら自身は持てない。
だけれども亡くなる数か月前に、ヒトリエの曲がラジオでよく流れていたことをよく覚えている。『SLEEPWALK』という曲だった。
ヒトリエ 『SLEEPWALK』 / HITORIE - SLEEPWALK
どうやらツアーのプロモーションも兼ねた、プッシュソングみたいな位置づけだったと思う。そのツアーで来るのが僕の誕生日だった。この曲が流れるのを密かに楽しみにしていた僕は、せっかくの誕生日だし有給でも取ってライブにでも行ってみようか、なんて考えていた。
結局そのツアーは行われることなく、せめてもの思いでヒトリエの曲を聴いてみようと思った。
その段階でボーカルのwowakaがボカロPだったことを知った。
のちにブログで米津玄師がwowakaへの記事を残し、親交があったことも知り、ボカロ出身者がいつの間にか進出してきていたことも知る。知らないところにそんなことが起こっていたとは。もっと早くに知っていれば、なんて思わずにはいられなかった。
その後に出たのが『海の幽霊』だった。
もちろん映画の主題歌で、歌詞も曲調も作品をベースとして作られたものなのだろうけど、どこかそこに「追悼」の意が込められているような、そんな気がしてならなかった。
ヒトリエはこれからも続けていくそうだ。遅くなってしまったけど、これから彼と彼らを知っていこうと思う。
知らなかったものを教えてくれて、ありがとう。米津玄師。
(前記事、本記事合わせて敬称略)