サンキュー、米津玄師。1


米津玄師 MV「馬と鹿」Uma to Shika

 

 

 

米津玄師の勢いが止まらない。

 

 

 

一昔前、J-popには暗雲が立ち込めていたように思える。「CDが売れない時代」という壁にぶつかって、あの手この手で打開させようとした結果、「本当にこの曲たちがヒットソングなのか?」というランキングになったこともある。

 

あの商法に対して、ここであーだこーだと批判するつもりは全くない。むしろあれでコンパクトディスク産業的なものは一時的に救われていただろうし、特典が付くからと言って肝心の曲は手抜きでもよかったのかと聞かれたら、おそらく違かったのだろう。

 

ただ、やっぱりどこか「奥の手」感が否めなかった。

 

僕がまだ小学生とか中学生とか、そこら辺の歳の頃にはゴールデンタイムにいろんな音楽番組がやっていて、そこで出てくるランキングを楽しみにしていた。今週は何の曲が一番になるだろうとか、自分が買ったあのアーティストのCDは何位になるだろうとか、そういうものに一喜一憂していた。

 

そんな音楽番組も徐々になくなっていき、自然とランキングも見なくなっていく。そして忘れたころに見せられたランキングでは、特定のグループがほとんどを占拠した状態。ランキングに入らないであろう曲も聴くようになっていた僕は、すでにそれを仕方のないことだと思うようになっていた。

 

 

 

 

 

ボーカロイドが登場した。

 

そのキャラクターデザインから、当初はホントにオタク趣味の産物だと思われていただろうし、僕も思っていた。アニメっぽいキャラクターが、既存の曲でも自分で作った曲でも歌ってくれる、そんなイメージだ。

 

当初はやっぱり、アニメとかゲームとかが好きな人たちがボーカロイドに興味を示した。ギターを始めて、ロキノン系バンドにハマっていた僕は、どっちつかずな状態だった。興味はあるが踏み込めない、いやむしろ踏み込んだら完全にそっち系の人になるんじゃないか、なんてよく分からないプライドでボカロと距離を取っていた。

 

具体的に考えたわけではないけど、「ボーカロイドは普通の人には受け入れられないだろう」みたいなことは思っていた。初音ミクをはじめとするボーカロイドのキャラクターが、どうしてもオタク好みになってる。この文化はそれを中心にして成り立っている。そんな認識が、きっとどこかにずっとあった。のちにボカロ・歌ってみた発祥でアニソンを担当する、なんて人たちも現れたけど、アニソンから先には行けないと思っていた。

 

 

 

大学を卒業して、半ば強引に一人暮らしを始めて、バイトを始めた。

 

バンド活動なるものを始めていたこともあって、楽器関係のバイトをしようと思っていたけど、結局就いたのはとある店のUFOキャッチャーコーナーの店員だった。

 

当時くらいから、ボカロ文化にも変化が現れ始めていた。特定のボカロPと呼ばれるボカロでのアーティスト的な存在がうまれ、そのグッズが景品として入荷していた。バイトの先輩がたまに、お気に入りのボカロ曲を店内で流していた。

 

ボカロが好きなんだな、と思っていた先輩が聴いていた曲の中に、ボカロじゃない曲があった。米津玄師の『ゴーゴー幽霊船』という曲だった。

 

 

 

 

 


米津玄師 MV『ゴーゴー幽霊船』

 

 

 

 

 

ここで初めて米津玄師の名前を知った。知ったけど、この時はまだ知るだけに留まる。

 

(続く)