『天気の子』を観て、救われた僕の2000年代 ――中編

筆が進まねぇ。

 

 

 

 

 

いや、実際これ筆で書いてないよな。そろそろ現代版「筆が進まない」の言い回しを考えるべきなのではないか。キーボードが弾まない、フリックが滑らない… それは画面拭きなよ。相当汚れてるでしょ。

 

ともかくまぁ書きたいと思って書き始めたはいいが、終着点を決めてないことに気付いた僕でありました。

 

 

 

「話したいことは山ほどあるけど、なかなか言葉になっちゃくれないよ。」 

 

そうだね藤君…

 

嬉しくても言葉にできなかったりするよね和正さん…

 

でもあなた、歌詞の2行目くらいで「君のことが好きだから」って平然と言ってのけるよね。

 

 

 

こんな余談ならば延々と書いていられるな。

 

そいえば昔、KAGEROUを書いた俳優さんが「延々」と「永遠」をごっちゃにしてて、「永遠と指を鳴らせる」って言ってました。突然のForever。さすが元イケメン俳優、思わず俺も、頑張っているからねって、強くなるからねってWowowしそうになりました。

 

 

 

そんな、置いておくにはスペース取りすぎる余談は置いといてですね。

 

前回の続きを、書いていこうと思います。

 

未読の方は下のリンクから。

 

 

 

alternativeniikitaihyper.hatenadiary.jp

 

 

 

当時のエロゲーというのは、その多くが「ノベルゲー」という形になってました。一般のゲームで言えば「かまいたちの夜」みたいに、背景画像にキャラクターの立ち絵、そしてその上に文字がダァーっと書かれてるんです。

 

僕が言う「エロゲー」が「ギャルゲーのエロ有りバージョン」とちょっと違うのはこの点です。ギャルゲーであれば風景画像、キャラクターの立ち絵、そして画面の下部にウィンドウが表示され、そこで会話だっり地の文が書かれ、運命を左右する選択肢がでてきたりします。

 

RPGとかでも、会話だったりはウィンドウが表示されてたりしますよね。デフォはそれです。

 

もちろんエロゲーの中にはその形式を採用してるものも多々あります。ただ、当時人気のあったエロゲーでは、プレイヤーをゲームの中に引きずり込み、そしてどっぷりと浸からせるため、「閉鎖的な世界観」に「膨大なシナリオ」を詰め込みました。

 

 

 

その結果、ウィンドウ表示には不向きなテキスト量となり、「かまいたちの夜」的なノベルゲーになったのです。(※個人の見解、またはどっかでみた情報の受け売りです。)

 

 

 

いやぁ懐かしいっすね。当時にはそういった「ノベルゲー」を作るソフトとして、「NScripter」と「吉里吉里」ってのがあったんですよ。「ひぐらしのなく頃に」とかもこれのどっちかで作られたんじゃなかったかな。今でもこの2つには、なんか分からんけど憧れがある。

 

 

 

 

 

そんな「閉鎖的な世界観」と、「膨大なシナリオ」を併せ持ったエロゲーなんですが。

 

 

 

ここにもう一つ、ある要素を入れるゲームが多かったんですよ。

 

 

 

それが、「トラウマ展開」です。

 

 

 

 

前者2つの要素が、ユーザーをプレイに引きずり込むことが目的だとするならば、「トラウマ展開」というのはプレイ後もゲームのことを忘れないための要因として埋め込まれたと考えてます。

 

どうやったらプレイヤーはこのゲームを特別扱いしてくれるか。単に面白かった、感動したでは足りない、何か強い印象を与えなければいけなかった。そこで登場したのが「トラウマ展開」だったわけです。

 

 

 

実のところ、この傾向はエロゲーだけに限った話ではなくて、一般向けのゲームにも見られたりします。「トラウマ ゲーム」とかで検索すると結構見つかりますよ。あの世で俺に詫び続けろとか、もともと一般向けだったかどうかは知らないけど、失敗した失敗した私は失敗とか。

 

 

 

ネタバレを見た僕の前に広がったのは、そんな「トラウマ展開」だったんですよね。

 

 

 

感謝しようとしたら相手が異星人に食われてる、とかいうグロテスクなものだったり、人質の少女が「やっぱり神様なんていなかったね」と書いたスケッチブックを見せる、とかいう精神的なものだったりとか。もうホント18禁なのをいいことに、ありとあらゆる手段でトラウマを植え付けようとしてきましたね奴らは。

 

もちろん最後にはハッピーエンドだったりとか、そういう展開のないものも存在しているはずですが、それよりも強烈に印象付けられたのは、当時の僕が目の当たりにしたのは「トラウマ展開」だったわけです。

 

 

 

「閉鎖的な世界観」で起きる「トラウマ展開」。

 

実は偶然に、いや一説によれば必然的これらを内包したものに、僕は出会います。

 

 

 

それが「セカイ系」と呼ばれるジャンルです。

 

 

 

セカイ系」がどういうものか、それは残念ながら説明できません。だってまずもって定義が確立してないんですよこれ。

 

色んな作家があーだこーだと言ったり、原点はエヴァンゲリオンだとかだったりあると思うんですが、とにかく人によって解釈が異なる、けどなんか伝わるのが「セカイ系」なんですよね。分かんないでしょ? 俺だって分かんないもん!

 

まぁでも、自分の中では、「『セカイ系』にはこの要素は外せないな」っていうのはあるんですよ。

 

 

 

物語の中心に1組の少年少女がいて、

 

少女にセカイの命運がかかってて、

 

基本、セカイか少女かの二者択一。

 

そして大体「報われない結末」。

 

 

 

三大「セカイ系」作品って言われるものの中だったら、マンガの『最終兵器彼女』が一番有名なんじゃないですかね。これが一番分かりやすく「セカイ系」してると思うので、読んだことない方はぜひ。

 

この「報われない結末」ってのが「トラウマ展開」と被るんですよ。被るというかまぁ、エロゲーで培われた文化がここに投影されてるんじゃないかっていう一説があるので、被るも何もっていう話なんですけど。

 

 

 

2000年代にその片鱗を味わったエロゲーブーム。

 

目の当たりにした「閉鎖的な世界観」と、突きつけられた「トラウマ展開」。

 

そしてそれらを継承するかのような、「セカイ系」の「報われない結末」。

 

 

 

これらはこれらで、僕のなかでしっかりと「知らないところのすごいもの」として存在しました。

 

 

 

「トラウマ展開」の、背筋が凍り付くような、後味の悪さ。

 

「報われない結末」の、胸を締め付けられるような、どうしようもない切なさ。

 

そんなものに惹かれてしまう自分が、2000年代のインターネットから今日までに、見事に作り上げられてしまったのです。

 

 

 

今でもたまに「ゲームのトラウマシーン10選」とかいう、ネットのまとめ記事を読み漁ったりしますからね。

 

もーこれがやめられない止まらない。かっぱえびせん又はハッピーターンかってくらいの勢いで読みますね。読みふかして夜更かし。ライム冴え渡る  俺に  拍手鳴り止まぬ ! ヒェー↑

 

 

 

パンチラインが決まったところでですね。

 

ここら辺で今回のブログ終わろうと思います。

 

だってね、気付いたらね、もう2000文字超えてるんだよ? 筆が進まねぇって言って2000文字超えるブログって何よ。じゃあ進んだら何文字になるんですかね!?  4000文字ですか?! 僕のブログは大学のレポートか何かですか?!

 

「結局今回も『天気の子』にたどり着いてないやないかーい!!」って思ったそこの君ぃ!

 

まずはマジで読んでくれてありがとう!!

 

 

 

 

 

そして、いよいよですよ。

 

 

 

遂に、『天気の子』に触れた記事を書きます。

 

 

 

次回。タイトル「『天気の子』を観て、救われた僕の2000年代――完結編」(仮)

 

 

 

でお会いしましょう!さよなら!!

 

 

 

――俺たちの2000年代は、きっと2020年代へと受け継がれていく。