愛を語ろう。ボカロ文化を語ろう。

夏、終わっちゃうんすね。

 

 

考えてみれば夏って、罪なヤツだよね。いざ来たら来たで暑苦しくて、クーラーの効いた部屋に逃げ込んだりするんだけど、いなくなったら寂しい。なんだったらもっと一緒にいたかった。私、いつの間にかあなたに心、奪われてたのかもね。

 

そんな夏が過ぎ去る寂しさに、人は秋に「スポーツの」とか、「読書の」とか、「食欲の」とか付けて紛らしてるのよきっと。

 

 

 

ちなみに昔、「秋だねー、あっ!汚ねぇ!」ってクソつまんないダジャレを言ってた同級生が、今はパイロットになっているそうです。…嘘だろおい。ちょっと俺に子供ができたら言わせてみよう。

 

 

 

そんな余談はさておき。

 

ボーカロイドってすげぇな」って思ったっていう話をしたいんですけど、いいですか? あっはい、分かりました。了承を得られたようなので話します。あざーっす!!!

 

 

 

何がすごいかってのをざっくばらんに言うと、もう「成熟」してるんですよ。

 

と、言い切ってしまえるほど僕はボカロの曲や文化に明るくはないんですけど、それでも今の現状を見るに「すげぇな」って思うわけなんですよね。

 

 

 

まず、1つのジャンルとして確立して来ているのがすごい。カラオケでよく歌われている曲のランキングがあるんだけど、もう個別でボカロランキングあるもんね。

 

 

 

そしていつの間にかメディアに侵食し始めてるのがすごい。米津玄師… はもう別格だし米津玄師だけで別で話したいから触れないけど、ラジオとかで流れてきた曲とか調べてみたらもともとボカロやってました、ってのも結構出てきてる。

 

 

 

そんなイメージ無くなかったですか? ボカロ曲っていったらちょっとアニソンっぽくて、だいたい初音ミクをはじめとしたボーカロイドのキャラクターで動画が作られてて、どこかオタク趣味なイメージありませんでした?

 

 

 

確かにそれもボカロ。でももうそこに留まってないのがボカロなんですよ。

 

 

 

でも普段ちゃんとボーカルだったり歌手が歌ってる曲を聴いてる僕らからしたら、不思議だったりしません? やっぱり聴いてみるとあのボカロの機械感がどうしても気になる。それが受け付けないって人もいると思う。

 

 

 

そこ、めっちゃ重要なんですよ。

 

 

 

確かにボーカロイドの歌自体が好きで聴いてるってひとも多い。そしてボカロPのいわゆる「調教」ってのもそれぞれ変わって個性が出てるのかもしれない。

 

ただそこよりも「特定のボーカル」が歌ってないってところがボカロのおもしろいところなんですよね。

 

 

 

例えばね、「好きな歌手」の「好きな曲」を「別の誰か」が歌ってても、「好きな歌手」よりいいなって思うこと、あまりないじゃないですか。

 

そこ、ボカロ曲は寛大なんですよ。「好きな歌手」、「特定のボーカル」が歌ってないからこそ誰が歌ってもいい。なんなら好きな歌い手の人が歌ってるやつを探してもいい。

 

まぁここに関しては自分の意見なのでそうとは思わない人もいるとは思いますが、それでも「ボカロ」で曲を出して、それを「歌い手」の人が歌って、というプロセスもボカロ文化の発展に一役買っていると思います。

 

 

 

いつの紅白だったか、小林幸子さんが千本桜を歌いましたよね。「大胆不敵にハイカラ革命」っていう歌詞がもうピッタリすぎて感動しましたよ僕は。あーいうケミストリーが知らない間に起こっている。「苦手だから」でこの面白さを知らずにいるのは、ものすごくもったいないんじゃないかなという思いですね。

 

 

 

あと僕自身は、DTMに対しての興味をそそられるものとしてもボカロを見てます。普通以上に聴ける音楽。作品として残せるっていうのがいい。僕はバンドやってて残せなかった曲とかあって、ライブやるより何よりそれが悔いだったので、残るものにはすごく魅力を感じますよね…

 

思い出すなぁ。Reaperっていう無料のDAWソフトがあって、オーディオインターフェイスとか持ってない頃それをDLして、パソコンのマイク端子に変換ジャックでシールド繋いで録音してたんですよ。お陰ですげぇチープになった音をソフト内蔵のアンシュミかなんかでごまかして作曲してましたね。ベースも当時持ってなかったから、ギターの音のピッチ下げて代用して。ドラムマシーンもフリーの使ってね。

 

そうして作り上げた曲って、絶対に誰かに聴かせても良くないものなのはわかってるんですよ。仕上がり的にね。だってもう世の中にはちゃんとした録音環境で、しっかりとしたマスタリングの曲が溢れてて、それを聴くことに僕たちは慣れてるから。でもねー、なんだろうねあれ。自分で作った拙すぎる音源でも、自分で聴くとずっと聴いていられるんだよね… 

 

それをね、ボカロが宅録で作られててしかもこれほど成熟してるとなると、もしかしたら自分があの時やってたことでもっとすごいものが作れるかもしれないっていう想像、しちゃいますよね。

 

いや確かに機材なりソフトなりで相当の投資は必要だろうし、ただボカロで曲作りました! ってだけで何かしらになるとは思ってはないんだけど、宅録で一人で曲を作って、「でもこれを演奏する人がいない」っていうDTMerに一筋の光を与えたのがボーカロイドだったんじゃないかって思ってます。

 

 

 

もちろん「それでも苦手」っていう人に対して「聴け!」とは言いません。でもここには次世代の、もしかしたらもう来てる時代の片鱗が見えるかもしれませんよ。ということをお伝えしたかった次第でございます。僕はみきとPさんからボカロ入ったんでみきとPさんおすすめしときます。

 

 

 

それではまた。

 

次回はタイトル、

 

「イタくなりたい」(仮)

 

でお会いしましょう。さよなら!